日蓮宗本覚山【妙泉寺】の本堂をご案内します。
本覚山妙泉寺 本堂
岡本常彦 杉戸絵
-
当山本堂内陣に用いられております杉戸絵は、幕末から明治にかけて活躍した岡本常彦のものです。
岡本常彦は文化13年(1816)窪屋郡水江(現在の倉敷)に生まれ、著名な幕末の日本画家岡本豊彦の実兄の子で、叔父の豊彦に師事して絵を学び、風景画・人物画などを得意とし、一時は豊彦の養子となっていました。 -
当山の杉戸絵の伝承は分かりませんが、大きな行事の時に寄贈されたものと推察されます。
表に白蓮の花、裏には琵琶、篳篥(ひちりき)、横笛(おうてき)などの和楽器が描かれています。
常彦の作品は薬王寺(真庭市)の襖絵などがありますが、杉戸絵は県下では珍しく貴重な作品です。
常彦は明治24年(1891)没で、行年75歳でした。
内 陣
-
当山本堂にまつられております日蓮聖人像は、左手に経巻を持たれた説法像で、壮年時代の日蓮聖人です。江戸時代初期の製作・開眼され、作者は不明ですが心洗われる信仰の対象としての威厳と風格を備えておられます。
日蓮聖人説法像
-
身延山七面山の守護神が七面天女で、七面大明神とも称されております。当山に勧請された七面大明神の作者は不明ですが、その美しく製作されたお姿は神々しく、思わず手を合わせたくなります。
七面天女像
-
大黒様は右肩に大きな袋を背負い、左手には打出の小槌を持つ福与かな神ではありますが、しかしその語源は、サンスクリット語でマハーカーラと呼ばれるインドの神です。この音を漢字にすると摩訶迦羅となり、マハーは大、カーラは黒色を意味するので大黒天と呼ばれ、元々は戦争の神様でした。
大黒福寿尊天神(大黒様)
この大黒と大国が同じ音から大黒天と大国主命が同じように見られ、日本では大黒さまは福の神として定着し神社仏閣でも祭られるようになりました。
また日蓮宗では祈祷本尊としても崇められ、まつられています。
当山の大黒様は元々金色だったのが、長年の間に色あせて黒くなったものを、16世日融によって復元開眼されました。
2月3日の節分祭には大黒様の大祭神ともなっております。 -
当山にまつられております戦国武将であった加藤清正公は日蓮宗の大信者であり、所願成就除災開運・合格・必勝等諸願成就の神と親しまれ地元の信仰をあつめていました。
清正公太神祇(加藤清正公)
お姿拝見しますと、素朴で小さい御尊像ではありますが、なんとも神々しさに思わず合掌して頭(こうべ)を垂れてしまいます。 -
当山にまつられております北辰妙見大菩薩は北斗星・北極星の信仰に始まるもので、昔から太陽・月・星の運行を神秘的なものとして崇め、中国の道教では鎮宅霊符神、仏教では妙見大菩薩と呼ばれ、国土安穏・五穀豊穣・除災招福、開運隆昌の守護神として信仰されてきました。北極星は常に北を指していますから、旅人の指針として仰ぎ見られてきたことから、人生の道を導き開いてくださる開運の守護神として深く信仰されました。
妙見大菩薩
当山の御尊像は剣を頭上に掲げて座っている姿は能勢型と云われ、また、星祭りの本尊で厄除け開運の霊験あらたかで、大黒様と同様に節分祭の時には大祭神となっております。 -
当山に安置し鬼子母神御尊像は、16世日融上人の弟子であり副住職でもある日祥上人が平成22年度市川市 正中山法華経寺壱百日大荒行入行に際して、持参開眼したものであり、日祥上人帰山式には無事持ち帰り妙泉寺を守護している霊験あらたかなものです。
子育て鬼子母神
-
十羅刹女とは鬼子母神様を取り巻く10人の鬼神であり、法華経中における諸天善神でもあり、守護神でもあります。邪悪な神だったのが、お釈迦様に諭され善神になったとも言われております。
十羅刹女
当山ではそのような十羅刹女様を勧請しており、当山を守る守護神でもあります。 -
当山本堂に安置し水子慈母観音御尊像は、昭和56年に15世日悠上人の御信者である、内田房子様の発願で、檀家信者の篤信の人達の丹精により安置開眼されたものである、近年は水子供養のためにと訪れる多くの檀信徒がお参りされています。
水子慈母観音
-
痔の神様として日蓮宗の寺院で祀られている神様。自雲は秋山(しゅうざん)自雲(じうん)居士という人で摂津の生まれ。
白雲堂
酒問屋で奉公、その精勤な働きぶりが認められ、酒問屋の家を継ぎましたが、三十八歳の時から悪質な痔病に悩まされ、自分の死後は痔病に苦しむ人を救いたいと誓願、四十五歳で亡くなりました。
毎年八月一日に大祭が行われ、痔疾だけでなく下の病に霊験あらたかな神として信仰され、地元の夏祭りに定着しています。